撮影疲れ…

 
先日、お店にお笑い芸人の田中さん(アンガールズ)とモデルの森星さんが来られました。
 
「そうだ旅(どっか)に行こう」  (テレビ東京)という番組の撮影だったんですが、お二人ともタレントオーラ全開で、田中さんはテンション高いし、森さんはビックリするくらい細いしで、ただただ圧倒されました。
 
ふぐ刺しや、おこぜのから揚げを注文してもらったんですが、撮影が終わっても美味しそうに食べていたので、僕としてはなんか安心しました。あとスタッフさんも地元の郷土料理の「ひゅうが飯」を食べて好評をいただいたので双海まだまだいけるなあ、とこれまた安心しました。
 

おこぜの唐揚げ
 

ふぐ刺し
 
この撮影と同じころにBS日テレの「ポストのある日本の風景」という番組が下灘駅で撮影ということで、そちらでも漁師弁当を注文していたただき、配達するところを放送してもらうそうです。
 
BSもテレビ東京もうちの家では見られないですけど、見た方が双海や魚吉に好感をもってくれたら幸いです。
 
『そうだ旅(どっか)に行こう』(テレビ東京)

~奇跡の無人駅!急に降りたら・・・究極の絶景&秘境温泉ベスト3
2015年2月17日(火) 夕方6時57分~夜7時54分
▽モデル・森星とアンガールズ田中は、無人駅の(秘)デートスポット巡りで、まさかの展開!
 
『ポストのある日本の風景』(BS日テレ)

毎週月曜 夜9時54分~10時00分 3月放送予定
 

「漁師弁当」ご予約承ります。詳しくはこちらから。

うまいものにはトゲがある

 
生きとる魚というのは慣れんかったら、なかなかよう触らんやろ。ようテレビで釣りなんかやっとって、若い女の子が魚を釣ったはええけど、「きゃー。」いうて竿を振り回しよるのを見かけらいな。まあ確かに魚というのはたいていのもんがトゲがついとるけん、ちょっとでも先が刺さると痛いけんな、わからんでもない。
 
漁師はどんな魚でも触り方はわかっとるし、多少トゲが手にあたるぐらいじゃあ、なんてことない皮の厚い手になっとる。それに網から魚をはずすのにいちいちそんなの気にしとったら仕事にならん。
 
ほんでも漁師を長いことやっとると、極極たまにやけどものすごい痛い思いをすることがあるんよ。網にそいつがおると気づかんと、いつものように魚を投げとるとプスリ。
 
わしの場合はだいたいが海の中よ。潜りをしよるとき、そこにそいつがおるとはわからんと手をもっていってしもうて刺されてしまう。
 
もうおわかりかと思うがそいつの名前はオコゼ。上から下まで黒々しとって、海の中では敵から身を守るために周りの岩と同じような肌合いをして岩陰に隠れとるけん、よっぽどジーッと見よらんとそうは気づかんのよ。レジャーダイバーみたいに観察するために海に入っとるわけじゃないけんな。
 
刺された瞬間は「あいたっ!」という程度やけど、五分・・十分・・と時間が経ってくると強烈な痛みが襲ってくる。「ズキズキ」なんてどころの騒ぎじゃないぜ。あまりの痛さに一生懸命に大きく息を吸わんといけんような呼吸困難になる。刺されたもんにしかわからん痛みよ。
 
こうなるとすぐに引き上げて医者に行って注射をうってもらう。このとき、トゲが刺さった分だけの注射をうつんよ。いちばんひどいときは手のひらに四本刺されたけん、四本の注射を手のひらにうった。
 
注射をうてば痛みはいっぺんにひいていく。見事なぐらいにな。よっぽど強い注射なんじゃと思うぜ。その後は腫れがひくのに二日ほどかかるけど、痛みは一日で治る。この辺は漁師が多いけん、医者もオコゼ用の注射をちゃんと準備しとるんやと思うんよ。都会の病院ではめったにないやろうからな、オコゼに刺されたというて来る人は。調理するときに刺されるようなマヌケな料理人もおらんやろうしな。
 
オコゼのトゲは猛毒でな、医者がいうには「刺されどころが悪いと毒がまわって死んでしまうこともある」らしい。幸い、この辺の漁師にオコゼに刺されて死んでしもうたやつはおらんけどな。
 
猛毒というても、オコゼはトゲさえとってしまえば旬にはうまい魚よ。オコゼ好きは本当にオコゼ一筋でな、うちの店にもそういうお客さんがおって、毎回オコゼを頼んでくれるぐらい。ただ、旬をはずすと食べれる魚じゃないけん、秋冬限定よ。
 
わしのおすすめは刺身。他の魚といっしょで、旬を迎えると身がほんのりとアメ色がかって透明感が増してキレイよ。
 
カワハギみたいに肝は細かくたたいて、ふぐみたいに身をうす造りにしてポン酢で肝とあわせて食べる。しゃんとした食感に肝のほんのりした甘みとポン酢のサッパリ味が合うんよ。
 
「オコゼといえば唐揚げよ」という人がおるかもしれんな。確かに料理として全国的に有名なんは「唐揚げ」で人気があるんもわかるよ。オコゼの皮は揚げるとパリッと香ばしくて甘みが出るんよ。でも唐揚げが好きな人ならなおさら、身は刺身にしといたほうがおいしいオコゼの唐揚げが食べれるぜ。 
 
刺身にした残りのアラを唐揚げにするんよ。硬い大骨のある頭や背骨は先に包丁の背でたたいてつぶしておいて、カリカリになるくらい強めに揚げる。こうすると、複雑な頭周りの骨も、背骨もヒレもきれいさっぱり、跡形もなくバリバリっとぜんぶ食べることができる。
 
それが身ごとまるまま唐揚げにするとしたら、第一に身の具合を考える。カラッと揚げるのは当然やけど、頭がカリカリになるぐらいに強く揚げたら、身のほうがパサパサしてしもて食べれたもんじゃないけん。その前に、頭をたたいてつぶしておくのが難しい。料理としての見てくれが悪いやろ。でもそれをやっとかんと、いくらカリカリに揚げたとしても、口に入れたら痛いぐらいの硬さは残る。背骨だけはさばくときに別に取り出して、アラでやるのと同じようにしっかり揚げて骨せんべいにできるけど、オコゼは頭の比率が大きいけんな、ここをどう食べてやるかが食べるほうの大事なマナーよ。もちろん、身や皮をしゃぶって骨は残すのでもええけどな。
 
あんまり唐揚げが好かん人はアラをみそ汁か吸い物にしたらいい出汁がでるよ。
 
オコゼは煮付けもうまいんよ。いつも同じ料理法やったら一回試してみて。皮のうまみと、淡泊でぷりっとした身があっさりした味付けで生きてくるけん。
 
ここまでの話は黒オコゼのことぜ。大きいヤツは四十センチくらいにもなる。釣りしよるときにたまにかかったり、海水浴で刺されたりするのは赤オコゼ。こいつは浅いところの砂地とか藻の下あたりにおって、どんなに大きくなっても五センチぐらい。ほんでもこの赤オコゼも食べれるんよ。まるごと唐揚げにして頭からバリバリっと。けっこういけるよ。
 

 

真っ白なイカの塩辛

 
わしは毎日晩酌をやるんやけど、冬場のしけたときにいちばん困るんは酒の肴がないことよ。魚がおらんことには酒は飲めんし、かといって酒を飲まんわけにもいかん。
 
それで日保ちのいい酒の肴をつくったろ、と思うてつくったんがイカの塩辛よ。
 
イカはいろんな種類がおるんよ。身が硬めでイカそうめんにして食べるしっぽが細長い剣先イカや、もちもちした食感のずんぐり大きなアオリイカ、背中に甲羅をもったしっぽのまあるいコウイカとか、三角ミミの赤い色したマツイカ(スルメイカ)とか、いくらあげてもきりないぜ。どれも形はもちろん、身の厚みも味も違う。
 
しっぽいうて、どこのことかわかっとる? 下足(げそ)のことやないんぜ。しっぽは下足とは逆のほうなんよ。げそを下の足と書くけど、ほんとはあれはイカの手やけんな。口は手の真ん中にあるし、目も手のすぐ上についとる。やけん頭が下足の側のほうで、しっぽは身の先のほうなんよ。こんなん漁師じゃ常識やけどな。
 
ま、それはええとして、イカにはいろんなんがおるんやけど、その中からわしが塩辛に使うんはミズイカ。大人になってもせいぜい十センチくらいであんまり大きくならんイカなんよ。形は剣先イカによう似とる。ここら辺の漁師でもたまに剣先の子かと間違えるくらいやけん。ちょっとしっぽが剣先より丸いかな。そうやな、日本海のほうでとれるホタルイカとよう似とるといえば、わかるかな。夏には身の袋の中いっぱいに卵がつまるんよ。煮たりゆがいたりしてまるごと食べると卵がしこしこして甘くてビールのええつまみにならい。
 
このミズイカの身は一、二ミリくらいで特別薄いんよ。塩辛にするイカの身はあんまりごついと味がうまくいかん。イカの味と塩とがマッチせん。塩辛は身の味と塩のまざり具合が命やけん。それに身が太いんは、あんまり上品やなかろ。酒の肴にするには。
 
ミズイカは下足を切って、身のほうを一枚に開く。そしてその身を一、二ミリぐらいの細さに切る。最初から細く切って漬けんと、塩がなじまんのよ。下足のほうはいっしょに漬けてもええけど、いぼがあるし、塩辛で食べるにはちょっと硬くて食べにくいけん、甘辛く煮て食べる。
 
塩加減はイカの量が十に対して、塩が0.6から0.7くらい。このときに気をつけんといかんのは、重さじゃなくて、体積で測ること。コップ一杯にイカを入れたら、そのコップの0.6から0.7分の塩、ということよ。百グラムに対して六,七グラムとは違うんぜ。これを間違えたら、味がおかしくなるよ。
 
この塩が六から七%というんは、イカの味がいちばんよう出て、塩気が気にならんちょうどええ割合なんよ。その代わり十日間くらいしか保たん。一ヶ月くらい保たしたかったら、塩を一割くらいの割合にしたらええよ。ちょっと塩の味がつようなるけどな。
 
塩を合わせたら冷蔵庫に入れて、そのまま三、四日おいておく。一、二日目は塩がイカにまだなじんでないけん辛い。塩は味付けするだけじゃのうて身をしめるために入れるんやけんな。三,四日たったらイカから余分な水分が出て、塩もなじんできて、イカの味とうまく混ざり合うんよ。
 
このミズイカの塩辛はな、塩辛やけど甘い。刺身では出てこん、イカの身が持っとる甘いエキスが出るんよ。塩の技よなあ。ほとんど塩気は感じんけん、飽きがこんよ。酒もすすむ。塩の味しかせんような辛いんは保存食やけん。酒の肴にはならんぜ。
 
これは見た目もきれいよ。生きとるときとおんなじくらい真っ白で、店で出したらお客さんは刺身と間違えるくらい。
 
普通に売りよるんが白くないのは、知ってのとおりミソを混ぜるけん、ミソの色がついとるんよ。わしはミソはいれん。味の好みもあると思うけど、ミズイカは身にしっかり味があるけんもったいない。ミソが勝ってミソの味しかせんようになるよ。それならミソだけ食べればえかろ。それにええ魚はな、ほんとにきれいなもんなんよ。どんな風に料理してもその魚の持っとる色気を楽しまんとつまらんかろ。
 

 

伊予灘のギャング!? 

 
わしが住んどる町は下灘と呼ぶんやけど、下灘はわしが生まれるずっと前からの漁師町。「魚見」という姓はよその土地じゃあ珍しいようやけど、下灘にはようけこと「魚見」がおって、たいがいが漁師よ。姓がつけられた由来はどうかわからんけど、農家の人にはおらん姓やけん、なんかしら漁師をやりよるのと関連があったんやなかろか。
 
下灘の漁師は昔から腕がようてな、「天然の魚を捕る」ことにかけては四国一、いや日本一かもしれん。わしが食べるにも、店でお客さんに食べてもらうにも「天然もん」にこだわっとるんは、ここ下灘の漁師として誇りがあるけんよ。漁師というても、ほかでは養殖をやりよるところが多いし、集団で組んで漁をしよるんやけど、ここは養殖はやらんし、集団にもならん。個人で競い合うけん、腕も伸びるんよ。今でも船数が多くて、後継者問題にも苦労しとらん。
 
この下灘の漁師が五十年ほど前は新聞をにぎわすぐらい有名やったんよ。
 
なんもせんで新聞をにぎわすのは珍しい動物ぐらいのもんでな。それこそ、ええことをして載るのはスポーツ選手か文化人ぐらいよ。
 
その五十年前ころの下灘の漁師はものすごい稼いどった。漁師のバブルとでもいうかな。いわゆる八十年代のバブルよりずっと前の話。
 
魚を捕るときに底引き網を使う漁があるんやけど、下灘の漁師は底引き網に板をつけて漕ぎよったんよ。そうすると板が海中で扇状に広がってな、大量に魚が入る仕掛けよ。網だけでやるより倍以上は入る。一回の網で倍以上入るんやけん、儲けも倍以上。たいがいの船がいつも満船(もうこれ以上は船に載せられないというぐらいの大漁)にしとった。商売をするからにはようけ儲けたいんやけん、そりゃみんな板漕ぎをやる。少なくても一日六,七万円。満船にしたら十五,六万くらいにはなるけん。今の価値でいうたら五,六十万という大金よ。ほんと、華々しい時代やったわい。
 
ただこのバブルにはひとつだけ問題があった。実はこの漁法、違反なんよ。海の場合は、いっぺんに捕れすぎる漁法はダメという考え方でな。農家の人やったら表彰もんぜ、ようけ収穫できる方法をあみだしとるんやけん。
 
違反やのに、なんで板漕ぎ漁ができたか、というか、やりよったかというとな、広い広い海の上、どういう漁法をしよるかは近くまで寄って漁しよるんを見んとわからんのよ。板を船に積んどるだけじゃあ、違反にはならんけん。漁師を取り仕切っとるのは県の海上保安庁。保安庁が違反の船をつかまえるには現行犯を見つけるしかない。
 
海の上は見晴らしがええけんな。万が一、保安庁の船が「あの船は怪しい」と思って近寄ってきても、板を捨ててしまえばええんよ。もしそれも間に合わんと思うたら網ごと捨てればいい。板とか網はあとから探して拾えばええんやけん。
 
もういたちごっこよな。ある意味、無法地帯を地でいっとった。
 
わしが漁師になったのもそのころ。
 
ただ「悪銭身に付かず」とはよう言うたもんでな。ようけ稼げば稼ぐほど漁師の遊びは派手になる。酒、女、ギャンブル・・。わしなんかほかにやりたいことがあったのに仕方なしに漁師になったけん、稼いだもんは全部つこうちゃると意気込んで遊びよったけん。
 
そんなんが十年ぐらいは続いた。 
 
ええ時期がそんなに長く続いたのも愛媛県の保安庁がけっこう融通が利くというか、大目にみてくれとったというのもあるんよ。それが、人間、欲なもんでなあ。自分らの領域だけで済ましとたらよかったもんを、山口や大分にまで手をつけ始めてな。山口や大分の漁師らは違反漁なんかせんと真面目に捕りよったんやけん、まだまだようけ魚がおったんよ。そこへ下灘の漁師が板漕ぎでごそっと捕っていってしまう。そりゃあ、地元のもんは怒るわいな。山口や大分の保安庁もどういうことだというてきた。
 
そしてついに、地元の新聞にたたかれた。
 
「伊予灘のギャング・クロの船団が瀬戸内海を荒らす!」という見出しで、新聞の一面にデデーン!と大きく載せられてしもうた。
 
そのころの下灘の船は船が海で目立たんように灰色に塗っとったんよ。夜にこっそり漁をやったりするけん。軍艦といっしょ。それで「クロの船団」とか「ギャンク」とか言われたんよ。
 
これでは愛媛の保安庁も面子が立たん。
 
下灘の港の前に保安庁の船が毎日駐留するようになった。船が港から出れんように見張るために。つまり、完全封鎖。当時子どもの作文に「港に保安庁の船がおるけん、うちのお父さんが仕事に出れません」とあったというんやけん、子供心にもちょっと異様な風景やったんよ。なんと封鎖は一年間も続いた。漁に出れなんだら当然漁師は食べていけん。下灘の漁師はみんな出稼ぎにいった。大阪に行く者もあれば、広島に行く者もおった。
 
わしはというと、知人の紹介で近くの町の農機具をつくる会社に就職。生涯、会社勤めをしたんは後にも先にもこのとき限りよ。一ヶ月ともたんかったけど。工場長とケンカしてしもたんよ。
 
年の頃はちょうど二十歳。十六歳から漁師になって、それまでずっと自由気ままにやりよったんよ。それが、急に朝から「はい、みなさん! 体操しましょう」とか、「はい、みなさんで社歌を歌いましょう」とか。なんぼにもやれない。
 
それに一日働いてもらう金は二千円からせいぜい三千円。漁師で派手に稼いどったけん、コツコツした仕事に耐えれんかったのもあったんよな。もうそのときは結婚しとったけん、石割をしよる嫁さんところの実家を手伝いながら食べつないだ。
 
下灘の漁師が復活でけたんは、他でもない、魚と漁の腕前のおかげ。封鎖されたときは板漕ぎしか頭にないけん、保安庁がついてくると思うてよう沖に出んかったんやけど、ある漁師が正真正銘、違反なしの許可をもらっとる道具で漁に出たんよ。そのとき、剣崎イカに当たった。これがまた、大当たりでなあ。剣崎イカはまた、下灘に活気を呼び戻した。
 
出稼ぎにいっとった人らもみんな噂を聞きつけて次々と戻ってきて剣崎イカを捕り始めた。板漕ぎ漁のときよりも景気がよくなったぐらいよ。
 
このとき下灘の漁師が変わったことがひとつある。保安庁の指示で、船を灰色から黄色に塗り替えたんよ。目立つようにな。ほんでも「魚を捕ってやる」という漁師魂は一寸も変わりはせんぜ。
 
実のところ新聞でたたかれるような違反をしよったとき、下灘の漁師は「悪いことをしよる」という気持ちはなかったんよ。魚を捕るのが漁師の仕事。大漁を揚げて何が悪い、たいした漁もできん奴のほうがしょうもない、みたいな感じでな。
 
剣崎イカにしても、下灘の漁師が魚を捕ることにかけては優秀やったけん復活できたんよ。大漁を揚げるのはわしら漁師の誇りやけん。
 
捕りすぎると魚がおらんなるとか、すぐに環境問題とか言うけどな、下灘の漁師はたかが小さな町の漁師がちょっとようけ捕ったぐらいで生態系が崩れるとは思うてないんよ。もともとの海は人間が考える以上に豊かで、ものすごい数の卵が生まれては育っていきよんよ。やけん、違反といわれても「それがどうした」という風よ。
 
ここ数年は温暖化の影響で海水がたこうなって、大量にウニが死んでしもうたり、捕れんようになった魚もいっぱいおる。それに、山の木が伐採されて川の水が汚れたり、家庭排水で毒の混ざった水を海に垂れ流しにすることのほうが、よっぽどものすごい力。海がおかしくなるんは、そういうことやと思うぜ。
 

黄色一色の下灘の漁船
 

残りものから生まれた鯛めし

 
ここらへんの漁師が一年を通していちばんよう食べる魚は鯛。というのも年間通したら量的にいちばん捕るのは鯛なんよ。鯛というたら高価やし、そんな贅沢なもんをいちばんよう食べるんか、と思うかもしれんけど、高く売れるんは活きとる鯛。海から引き上げたやつの中にはどうしても死んでしまうのも出てくる。鯛は深いところに大群でおるもんやけん、いきなり海上に上げられたショックも大きいし、暴れて互いにキズつけあったりするけんな。ヒラメとかカレイのように単独行動をしよる魚は、そうそう死んでしまうことはないんやけどな。
 
死んでしもうた鯛は市場で売ってもタダ同然。やけん、そういう鯛は家に持って帰って焼いたり、炊いたり、鯛めしにしたりしておかずにするんよ。しめる前に死んだ魚は刺身にはできんよ。
 
鯛めしというのは、文字通り鯛を入れた炊き込みごはんのこと。ところによっては、小さい鯛を頭ごとまるまる一匹入れたやつを郷土料理として出しよるみたいやけど、それは店が見た目を派手にしようと思ってやっとるんよ。
 
わしらが食べる鯛めしは、そんなたいそうなもんではない。アラの残りもんを捨てるのはもったいないけん、ごはんと一緒に炊いたらうまかった、というんで昔から漁師の家庭で食べよる。捕ってくる魚の種類はいろいろあるけど、こうやって炊き込みごはんにして食べるのは鯛ぐらいでな。他の魚がごはんに合わんということではなくて、やっぱり鯛がよう余ったけんなんよ。
 
祭りのときや組合や消防団の集まりとか、何かごとで集まりがあるときもやっぱり出てくるのは鯛料理。なんといっても鯛はめでたい魚やけん、派手になるんよ。たとえ法事とかでも、集まってくれたお客さんが喜んでくれるんがいちばんやろ。そのときもごはんものは鯛めしよ。アラはムダにならんし、一石二鳥。ただ、結婚の祝いや葬式なんかになると、鯛は使ってもごはんは鯛めしじゃのうて、赤飯とか巻きずしとかちらし寿司にする。いくらおいしくても、残りもののアラを使っとるという意識があるけん、正式な場所ではお客さんに失礼になると思うんよ。なんか微妙な違いのような感じもするやろうけど、こういうのは、何が正しいとかがあるわけじゃないきん、ようはお客さんに気持ちよう思ってもらいたい、というもてなす方の気持ちの問題よ。
 
作り方は炊き込みご飯やけん、たいして変わったことをするわけじゃない。忘れたらいけんのは、アラは最初に熱湯をぱっとかけて、魚特有のぬめりをとっておくこと。野菜はにんじんとごぼう、好みで油揚げも少し。味付けはしょうゆ、みりん、酒を少々。あとは炊飯器がやってくれるけんな。いくら贅沢にしようと思っても身だけを入れるんじゃあいけんぜ。身からは出汁がでん。アラじゃないと。
 
炊きあがったところで、アラを全部出して、骨についとる身をほぐしとったら身だけを炊飯器のほうに入れる。それでざっくりと混ぜれば出来上がりよ。
 
米のひと粒ひと粒に鯛のうまみが染み込んどって、甘くて香ばしい。とくに底にできるうすこげは格別うまい。万が一、炊きあがってうすこげがついてないときはちょっと加熱したらすぐにつくよ。
 
漁や子供の学校に持っていく弁当にもええわい。冷めれば、冷めたなりに味が落ち着いて改めて鯛のうまみがわかるんよ。
 
翌日、ちょっと硬くなった鯛めしもまた楽しみ。お茶をかけてごはんをほぐしてスープごとさらさらと流し込む。即席の鯛茶漬けは二日酔いの朝めしにももってこいよ。
 
うちらの漁師はあんまり遠洋にはいかんのやけど、たまに泊まりがけで漁に行くこともあるんよ。そういうときは船の上で鯛めしを炊く。泊まりのときは炊飯器と水、しょうゆぐらいは船に積んどるけん、その日に捕った小さい鯛か死んだ鯛を入れればすぐできるやろ。たくわんに、すまし汁でもつけりゃ立派な晩飯になるんよ。
 
鯛めしは漁師の生活になじんだ料理。これこそ漁師料理かもしれんな。
 
うまいのを食べようと思ったらくれぐれも養殖もんは使わんようにせんといかんよ。あんまりそういうことを言うと怒られるけど、別に養殖を批判しよるわけじゃないんぜ。わしは、個人的に、養殖独特のねっとりしたにおいの油が好きじゃないというだけやけん。 
 

いまはうちの看板料理になっています。
 

郷土料理「さつま」は漁師の家庭料理

 

 
 秋の涼しい風が吹くとな、どうにもこうにも食べとうて仕方なくなるもんがあるんよ。
 
 それは「さつま」よ。
 
 「さつまあげ」とは全く違うもんぜ。「さつまいも」とも関係ない。「薩摩」は鹿児島のことやしな。
 
 実はわしもなんで「さつま」と呼ばれるようになったんかは知らんのよ。ここ下灘の郷土料理みたいなもんで、この辺の家庭じゃあどこでも作りよる。
 
 「さつま」というのはな、ひとことで説明すると、白身魚の身をこなごなにしたもんが入ったみそ仕立ての汁。汁というても、こなごなになった白身がたっぷり入るけん、少しとろみがある。それを白いごはんにかけてざらざらっと食べる。みそ汁茶漬けみたいなもんよ。
 
 これはな、白身の魚やったらまあ、どれでもええんやけど、できればあんまりあっさりしすぎとらんと、ちょっと脂が乗ったようなやつがうまい。わしのとこはだいたい太刀魚を使う。
 
 さっき秋風が吹いたら食べとうなると言うたやろ。でもこの料理は秋じゃないと食べられんとか、秋じゃないといかんという理由はないんよ。別に春でも夏でも作ろうと思うたら作れるんやけん。ただ単にわしのさつまの印象が秋なんよ。
 
 わしが小さいころ、秋になるとようおふくろが作ってくれよったけんやろうかなあ。秋口に入ると太刀魚がようけ釣れるようになるけん作りよったんかもしれん。太刀魚は漁師が遊びで釣るんやけど、多いときは一日に百本ぐらいは釣れるけん、いくら一生懸命食べても間に合わんのよ。捨てるんはもったいないしな。それに、あんまり高い魚を使うんはもったいないけん。
 
 さつまは店でもメニューに入れとるんやけど、わしのさつまの印象があるけん、ずっと秋から春先までの限定メニューやったんよ。それがお客さんの要望があんまり多いけん、今は年中出すことにした。魚は鯛でも何でもできるけん。
 
 作り方はけっこう手間がかかる。
 
 まず白身魚を素焼きにする。焼けたら手で身をほぐして、大きな骨だけ取り除いておく。ほぐした身はミキサーに入れて粉々にする。ミキサーがなければまな板に置いて、包丁で細かく細かく粉々になるようにまるまで砕くのでもええよ。とにかく粉々にするのがええんよ。食べたときにざらざらっとお茶漬けみたいに流し込むけん。
 

 
 みそは麦みそを使う。みそはすり鉢に塗って、ガス台にふたするようにして、表面をこんがり焼く。焼けたらそのすり鉢にだし汁とさっき粉々にした魚の身を入れて、さらにすりこぎですれば出来上がり。
 

 
 これにこんにゃくの細切りとあさつきをひとつまみ入れて、ぬくい(温かい)ごはんにかける。あさつきとみそは相性がええきんな、ええ塩梅になるんよ。
 
 昔は貧乏やったけん、おかずがないときに食べよった。栄養もたっぷりぜ。腐る材料が入ってないけん、日保ちもする。冷蔵庫で三,四日は平気よ。
 
 この前、テレビで「冷や汁」というのを見たんよ。こっちは名前の通り冷たいみそ汁で、中に魚の身とキュウリとか野菜とごはんが入っとってシャキシャキ感がええらしい・・。これもどっかの郷土料理みたいなことを言いよったよ。味は似とるとは思うけど、さつまと冷や汁は別のもんぜ。
 

漁師が魚を供養する日

 

 
 お盆は仏さんを供養するのに加えて漁師にとっては特別な意味があってな。お盆の最後の日、十六日は魚を供養する日なんよ。いつも魚を捕って売ってしめて食べよるけん、この日は船に残っとる魚がおったらカレイでもウニでもアワビでも伊勢エビでも生きとるもんは全部逃がす。なるべく十六日までに売ったり人にあげたり食べたりはするんよ。ほんで、その十六日だけは魚を食べんと、お精進料理を食べる。一年にいっぺんだけの魚を食べん日よ。
 
 そして、浜で盆踊りを踊って、仏さんと魚を供養して送り出すんよ。盆踊りをする浜は漁師ばかりが住んどる「下浜」という部落にあるんやけど、魚を供養するためにここでずっと歌い継がれてきた唄があるんよ。「下浜」に限らん、農家の人が集まる近くの部落の盆踊りでもちゃんと作物を供養する唄があるらしいわい。たぶん、日本全国、ところところに仏さんや生き物を供養するような唄はもともとはあるんやない。ただ下浜も今は唄を歌える人がだいぶ死んでしもて、歌える人が少なくなっとる。その人らも歳やし…。
 
 昔は録音するもんもないけん、唄がなくなってしまわんように順々に歌い継いできとるんよ。いまやって、とくにテープに録ったりするわけでも、紙とかに書いて残しとるわけでもないみたい。そういうもんじゃないんやろな。唄を知っとる人がおらんなったら、唄ものうなってしまう。いつまでも残っとって欲しいけどな、わしも物心ついたころから盆になるとずっと聴いてきた唄やけん。わしはいかんよ。歌は大の苦手やけん。
 
 この唄で踊るときは、伴奏はなし。太鼓と唄だけよ。結構ええ歌ぜ。人から人に伝わっとるもんやけん、文句が変わっとるかもしれんけど。
 
 一にや一の谷敦盛様よ、
  二には新潟の観音様よ、
 
 三にや讃岐の金毘羅様よ、
  四には信濃の善光寺様よ、
 
 五つ出雲のお社様よ、
  六つ六角堂の六地蔵様よ、
 
 七つ奈良の大仏様よ
  八つ八幡の八幡様よ、
 
 九つ高野の弘法大師
  十で処の氏神様よ。
 
 わたしゃ今来たァ 沖なかの舟よ、
  何処に取りつく、やれさ、島もない。
 沖の暗のに白帆が見える、
  あれは紀の国、やれさ、みかん舟。
 みかん舟なら、いそいでのぼれ、
  冬のやまぜがやれさ、西となる。
 わしの音頭は、うさぎの手足、
  おびにみじかし、たすきにゃながい。
 今度大阪、浪花の町にゃ
  おらはしらねど、酒屋が出来た。
 酒屋内には、おとどい子供、
  兄は二十三、その名がもんぺ。
 やあれ兄さん、ご病気じゃそのが、
  医者をむかようか、薬をよもろか。
 おらが思ても、あの娘がきらや、
  いそのあわびの、やれさ片思い。
 おまえ百まで、わたしゃ九十九まで、
  共に白髪のやれさ、はえるまで。
 
 だんだん、時代が変わってきとるけん、最近は「お盆」というても仏さんを家で迎えるなんてことはせんかもしれん。大事な「休み」やけんな。ほんでも、どっかに遊びに行くとしても「仏さんへの供養」の気持ちを持っておったら、守ってくれるんじゃない。

たかがタコ、されどタコ

 
タコ食べたことないという人はあんまりおらんのやない? タコはいつでもどこにでもあるし、安くて食べやすいけん。ほんでもタコを調理したことはあんまりないやないかな。結構、たいへんなんよ。
 
刺身にする場合。タコの刺身というたら、活きとらんといけんよ。まずまな板に吸盤をくっつけて、外側のぬるぬるネバネバした皮を素早く切るんよ。それはちょっとコツがいらいな。活きとるけん動くわけよ。手早うやらんとな。うわっつらのぬるぬる皮がとれたら次はまな板についとる吸盤とも切り離す。そうしたら白い部分だけになるけん。そいつを薄く薄く切る。切った身を皿にたたきつけたら、まだうにょっと動くよ。
 
そうやってちょっと動くぐらいで食べるんが活タコの醍醐味。ハリのある歯ごたえがあって、ほんでも硬いというわけでもない、独特の食感。噛んだ瞬間に甘みが出てくる。
 
まな板に残っとる吸盤は軽く湯にして刺身に添える。プチプチしとる食感もまたええんよ。
 
ゆがく場合。こっちのほうが大変よ。塩もみをせんといけんのよ。塩の味をつけるわけじゃないぜ。ようは塩でうわっつらのぬるぬるをとるんよ。これがそうとうに力がいる。料理屋やったら若いもんの仕事よ。
 
塩をひとつまみタコにふって、とにかく、もむ、もむ、もむ。粘りが強いけん、体重をかけるぐらいやないといけんよ。もみはじめるとすぐに洗剤を泡立てたみたいに泡が出てくる。もめばもむほど、どんどんどんどん泡が出てくる。塩を多くふれば泡がようけ出てええというわけじゃないきん、ふりすぎんようにな。あんまりふると、それこそ塩がしみて塩辛くなってしまうけん。ある程度もんだら、その泡を水できれいに洗う。それでもまだぬるぬるはとれんけん、今度は塩なしでもむ。また泡がある程度出てきたら水洗い。それを二回くらいやったらええかな。足の股のところはぬるぬるがとれにくいけん、たわしでこすって。それからやっと、ゆがくんよ。
 

 
ゆがくときはそのままやと硬くなるけん、うちではほどほどの硬さにするために酢と酒を入れる。ゆであがりの色をキレイにするためにしょうゆもひとふり。
 
甘辛く炊くときは大根と炭酸をいれる。炭酸と大根にはタコをやわらかくする成分が入っとるんじゃと。炭酸はあんまり入れたら味がえぐうなるけん、ちょっとだけな。
 
硬さは人の好みでええと思うよ、タコはもともと硬いもんやけん。
 
うまいタコを食べたいと思う人はいっぺん、自分で活きとるタコから準備して食べてみたらええわい。タコぐらいのことやけど、ちょっとした感動があると思うぜ。今まで食べとったんは何やったんか、というてな。ものによっては、卵(こ)が入っとるかもしれんよ。タコはどうも年に二回、産卵するみたいなんよ。やけん、卵に当たる確率が高い。産卵するんは個体差があるけん、一ヶ月早く子を持つのもおれば、一ヶ月遅いのもおる。それが二回あるということは、六ヶ月間チャンスがあるわけよ。タコの卵は珍味やけん。
 
タコなんか高いもんじゃないよ。でも、どうしても手間が大変という人は、せめて活きとるタコを仕入れよる店に行ってみて。ほんとのタコに会えると思うよ。
 

 

桜鯛のうそ!?

 
テレビはウソばっかりついていかんわい。「桜鯛」はいちばん鯛がうまいときの鯛やといいよる。何も知らん若い素人リポーターならまだしも、店のもんがいっちょまえに「桜の咲く時期の鯛は桜鯛というて、鯛に脂がのっていちばんええときですよ。昔の京都ではこの桜鯛しか食べんかった」とやら。
 
別の番組では、もと網元の漁師で今は店を構えとるという人がおおけな顔して「桜鯛は大きな子を持っとる肥えたのがすごくうまい」やと。
 
バカいうちゃいかんよ。なんで大きな子を持っとる魚がうまかったりするんよ。子が大きければ大きいほど栄養をとられてしもうて、身はやせてしまうんよ。肥えとるというんは、腹に子が入っとるけん、太ってみえるだけよ。
 
春頃の鯛は確かに、五,六月ごろの「麦わら鯛」に比べたらうまいよ。桜が咲くころの鯛を桜鯛というように、麦わらができるころ鯛を麦わら鯛と呼ぶんやけどな、麦わら鯛は鯛としてはいちばん悪いとき。産卵し終わって性も根も尽き果ててしまっとるころなんよ。桜鯛はその産卵を迎える一ヶ月前の鯛やけんな。
 
鯛がいちばんええときというのは、子を持つために栄養を貯えよる一、二月ころよ。このごろの鯛はほんと、見事にしっぽまで太うて刺身なんぞは「これぞ鯛」という風格のある味をしとらい。
 
なんで寄ってたかって桜鯛をうまいうまいとすすめるかというかというとな、春がいちばん鯛がよう捕れる時期なんよ。産卵するために鯛がのぼってきて、網にようけかかるんよ。たくさん捕れるときに“旬”というほうが、商売としては楽やけんな。まあ、いうても鯛やけん、そう変な味でもないし、ものによっては脂がノリに乗ったええやつもおるのも事実よ。自然のもんやったら、中にはちょっと変わった奴がおって、春にたっぷり栄養を貯めとるのがおったりもするんかもしれん。けど、桜鯛がいちばん鯛のええとき、つまり旬の鯛というのはウソやけん。
 
桜鯛だけじゃないんよ、テレビのウソは。
 
海からあがりだち(あがったばっかり)の魚を船の上や港で捌いてうまい、うまいというパフォーマンスを見せる番組もあるやろ。口を揃えて「とれたては新鮮でおいしいですね」というの。あれもどうかと思うよ。どんなに旬の魚でも一,二日はいけすで泳がして、身をしめささんと。とれたての魚は身がしっかりしまってないけん、包丁を入れると身が粗くてわれるし、ちぢかって(縮む)しまうんよ。プリプリした食感はあるけど、それは本当のその魚の味じゃない。ただ雰囲気や食感を楽しむのはええけど、とれたてがいちばんうまい、というのは間違い。「新鮮」というのは“とれたて”とは違うんやけん。
 
魚がその魚としての味を出すのは、いけすでしっかり泳がしてから上手にしめて、おろした身を冷蔵庫で五、六時間寝かして、しっとり身がなじんだころ。
 
一日もいけすで生きんような奴はもともとええ魚とはいえんよ。それに魚はしめ方でも味が全然違ってくる。活きがええときに一発でしめんと、自然と死んでしもうたら終わり。どんなに旬のええやつでも万が一、水の中で死んでしもうたら使いもんにならん。身はぐじゅぐじゅに柔らかくなってしまうし味も全くない。
 
ちょっと魚のことを知っとる人やったら常識やけど、どんな魚にも一発で苦しまんようにしめる「つぼ」があるんよ。カサゴやメバルのような小さいやつでも鯛や平目のような大きいやつでも場所はほとんどおんなじ、目の上あたり。
 
小さいのはアイスピックやキリでええけど、鯛や平目の大きいやつは「手かぎ」という道具を使う。カマの刃の部分がとがっとる道具というたらわかるかな。「つぼ」に狙いを定めて一発で刺す。力はいらんよ。女手でも簡単にできるぐらい。力がいるような場所は骨にあたってしもうとるんよ。つぼは頭の骨の横にある隙間の部分やけん。
 
上手につぼにあたったら口をぱかっと開けるんよ。そしたらすぐに血抜きをする。上手にしめられた魚は半日ぐらいは全身が硬直せんけん、できればその間に捌いてしまうとええわい。
 
へたな人がしめたらすぐに全身硬直しまうし、同じ素材やったら、上手にしめたもんと比べたら味が全然ちがうよ。これが言葉でいうんは難しいんやけどな、上手くしめられた魚の身はだらんとしとるんやけど、身の繊維はしっかりしまっとるんよ。へたにしめたやつとか、死んでしもうたやつは、全身は硬直しとるんやけど、身はぐじゅぐじゅに柔らかいんよ。比べて食べんとなかなかわからんかもしれんけど。
 
それにしても、桜鯛のことは誰しもが口を揃えていちばんうまいという。わしはやっぱり鯛なら、一月二月ごろの本当にうまい鯛も知ってもらいたい。それもわしが店をはじめた理由よ。
 

 
姿の活け造りは祝いの席には縁起物としても喜ばれる。もちろんうまいことにはうまいが、刺身はやはり少し固めでまだ、本当のうまみは寝かした鯛のほうが勝る。
 

ブランド名の疑惑!?

 
肉がどこ産かというのは信用できんというようなことがいわれとって、中には証明書を発行しとるところも出とるやろ。証明書を出すところはそれだけ自信があるんやろうな。一生懸命につくったブランド名を偽物に汚されてはかなわんもん。魚の場合もまあいろいろあらい。
 
たとえば、ふぐといえば下関が有名よ。いつの頃からからか、下関の市場はふぐが高く売れるという評判がたって、韓国近くや九州、四国のふぐをとる漁師がこぞって下関に持っていくようになった。とくに「南風泊(はえどまり)」という市場は日本一ふぐが集まるといわれとらい。数が集まる分、ええふぐが集まる確率も高いけん、下関のふぐならまちがいない、という風にも言われるようになったんよ。
 
でも最近は安いふぐを食べさせるところが増えて、下関でも天然のふぐがあんまり売れんようになった。代わりに養殖ふぐが売れよるんやと。天然でも養殖でも「下関から直送」というのには変わりないけんな。ただ、養殖のふぐはどこで育てられてもいっしょよ。ええふぐが多いという下関の評判も関係なかろ。
 
全国的に有名になったサバ、アジといえば「関サバ」「関アジ」。大分の佐賀関(豊後水道)という漁場で捕れるサバ、アジのことよ。伊予灘と宇和海の潮がぶつかり合う場所やけん、エサが豊富で体も鍛えられてよう肥えとる。脂もしっかりのっとって確かな味をしとる、というのはご存知のとおりよ。実はこの「関サバ」と「関アジ」、愛媛の佐田岬では「ハナサバ、ハナアジ」と呼ばれよるんよ。
 
どういうことかというと、関サバ・関アジが捕れる漁場は大分から船で三十分くらいのところにあるんやけど、そこは愛媛の佐田岬からも三十分くらいなんよ。佐田岬の船ももちろんええ魚を捕りたいけん、同じ漁場で漁をする。佐田岬の市場ではその漁場で捕れたサバやアジのことを「ハナサバ、ハナアジ」と呼んどる。
 
さらにその漁場にはここ(双海・下灘)の船も行きよるんよ。大分と佐田岬の船は一本釣りで漁をするんやけど、下灘の船は網で捕る。一般的には釣りであげた魚ほうがキズがないけんええというけど、一本釣りはあんまり大きいやつは捕れん。糸が切れてしまうけん。その点、網は小さいのも入るけど、大きいのも捕れる。サバやアジは大きいほど身がしっかりしてうまいんよ。
 
つまり、同じ漁場で捕れた全く同じサバとアジが、大分の市場にあがれば「関サバ・関アジ」、佐田岬の市場にあがれば「ハナサバ・ハナアジ」、下灘の市場にあがればただの「サバ・アジ」というそれぞれ別の名前で呼ばれるようになっとる、ということなんよ。ただ、大分のは売り方がうまかったんよなー。「関サバ・関アジ」はものすごい高い値がつくけど、下灘の船がとったやつはただのサバ、アジ。わしもこのサバやアジは好きやけん、あがったら仕入れて刺身にしたり、しめさばにしたり、さば寿司にして食べる。安いけど最高級のサバやアジよ。
 
どこそこのなになにやから、これはうまい、とかまずい、とかで食べるんはそろろろやめたほうがええんじゃない? 海の目の前、港の近くにある店でも養殖の魚を扱いよるところはいっぱいある。日本人は商売が上手いけんな。いちばん確かなんは、自分の舌よ。舌が満足したらええんやない。
 
うんちくはあとでついてくるもん。頭が満足するもんやけん。