ワタリガニ

 
わしは人のいうことはそうは気にせんほうやけど、ひとつ、どうにも納得のいかんことがある。
 
カニのことよ。
 
うまいカニというたらどのカニを思い浮かべる? たいがい出てくる名前がタラバよ。北海道とは何の縁のない人でも、それほど食べたことがない人でも、なにかとタラバに肩入れしとる。
 
タラバでなければズワイ。こいつは越前ガニ、マツバガニと名前を変えて日本海中に幅をきかせとるし、温泉とセットで旅行パックになっとることも多いけん、その分、ファンも多くなるんやろう。
 
それ以外に物知り顔で出てくるとしたら毛ガニ、ハナサキガニ。これも北海道の顔がきいとる。
 
食べもんには好みもあるし、食べ慣れとるもんがいいということもある。ほんでもこのことだけは、わしは自信を持って言える。
 
カニの中でいちばんうまいのは旬のワタリガニよ。
 
身のしまり具合といい、ジューシーさといい、他のカニらとは比較にならん。それになんといっても、その身の持つしっかりとした豊かな味。格段に違うもんをもっとる。
 
伊予灘で捕れるカニじゃけんというて、贔屓しとるわけじゃないよ。わしは日本中のカニというカニをそれが捕れる現地から活きとるまま取り寄せて食べたことがあるし、もちろん直接食べに行ったこともある。
 
それにこれはわしだけの意見じゃないんぜ。うちに来るお客さんで相当にカニに入れこんどる人がおるんよ。その人は北海道から、東北から、越前から飛び回って、その地でも有名な、うまいカニを食べさせる店と言われるところに食べに行きよる人なんやけど、その人がうちの店でワタリを食べたときに証言したもん。
 
「ワタリが日本で一番うまい!」というてな。この人が食べたんは一キログラム以上はあったけん、それは見事なワタリよ。
 
まあ一キログラム以上というのはなかなかお目にかかれんもんやけど、それでも旬のワタリを味わうには六百グラム以上はないといかんぜ。小さいのは味がようても、ボリューム的に物足りん。わかっとると思うけど、海外から入ってきとる冷凍の小さいやつは問題外よ。
 
タラバ派やズワイ派の人らはカニというたら足を食べるもんやと思うとるかもしれんけど、ワタリガニは胴中(カニの胴体の部分)を食べる。もちろん足にも身はあるけど、量は少ない。量で満足できるんは親爪ぐらいなんよ。でも六百グラム以上ある旬のワタリなら、胴中には身がぎっちりつまっとって中の殻からあふれんばかりの勢いよ。
 
それにメスには子が入ってきとる。カニも魚といっしょで産卵の準備期間中に旬を迎える。それが十一月末から二月に入るころまで。
 
この子がまたたまらんのよ。甲羅をぱかっと開けると裏っかわにオレンジ色の子がびっしりはりついとる。これを贅沢に大きくはぎとって口に入れる瞬間はなんとも幸せな気分にならい。
 
子の下にあるカニミソは産卵時期に限らずいつでも入っとるけど、やっぱり旬の時期はひと味違わい。苦みも臭みもまったくない、コクのあるキレイな味になっとるな。このミソを身に絡めてそのまま食べる。わしはこのミソをちょっと残しとって、甲羅に熱燗を入れて飲む。それは体が震えるほどの絶品よ。ミソはオスのほうがたっぷり入っとるけん、酒好きの人はオスがええんじゃない?
 
うちでワタリガニを食べるときは、焼きか蒸し。ワタリは鍋にはせんよ。だいたい、わしはあんまりカニを鍋で食べるんは好きじゃないんよ。殻の味がだしにつきすぎて、くさいわい。つけるたれも必要ないよ。身に数滴すだちを落とすぐらいよ。そのままで十分に完成された味。カニ風味というインスタントの食べもんがあるぐらいやけん、カニの風味ははっきりしとる。ほんでも本当にうまいカニの味は、カニ風味とは全然違うもんぜ。
 

夕日が山に隠れるようになる頃、ワタリガニの旬がくる。
 


2015年12月1日