幻のふぐ刺し

 
やっぱり日本の冬のうまいもんとゆうたら「とらふぐ」。わしが漁をはじめてからこの四十年ほどのあいだ、いろんな魚を食べてきとるが、とらふぐは格別よ。
 
ふぐとゆうたら下関、とだいたいの人は思うやろ。やけど下関は水揚げ量が日本一というだけ。わしはやっぱり伊予灘のふぐがうまいと思うんよ。下関で一番ふぐの数が集まると有名な「南風泊(はえどまり)」という市場の売り子も「伊予灘のふぐはいいものが多い」とテレビでゆうとるけんな。「いい」というのはしっぽのほうまで身のつきがようて、よう肥えとるということ。伊予灘はエサが豊富やけん、ええふぐがおるんよ。
 
ただ問題は、ふぐの場合見た目にええふぐが食べてほんとにうまいやつかどうかはわからんこと。鯛やヒラメやったら、外づらを見れば十中八九、どんな味の身をもっとるかがわかる。やけど、ふぐばっかりは何度見てもわからん。開けてからのお楽しみなんよ。
 
見分けるのは身の色。都会の人なんかは真っ白いのがええと思うとんやないかな。残念ながら真っ白いのは水分を含んどる証拠。切って並べると皿が濡れてしまう。身はくにゅっとしとるし味もはっきりせんわいな。あっさりしすぎとるという感じよ。
 
ええふぐの身はな、アメ色しとる。皿が透けるぐらいに透明感があるし、切って並べるときに切り身が立つぐらいにハリがあるんよ。その薄いひと切れにふぐの味がしっかりとつまっとる。アメ色の確率が高いんが旬の一月から三月の間。この時期やったら八~九割は大丈夫よ。旬がはずれると逆に白にあたる確率のほうが高くなるんよ。
 
ふぐ刺しが薄いのは高価でもったいないからじゃないんぜ。鯛の刺身みたいに厚いと硬くて噛み切れんのよ。ただ、逆に薄けりゃいいってもんでもないんよ。刺身に切るときは、そのときの身の状態に合った薄さで切っていく。その差は一ミリもない、ほとんど感覚的なもんやけどな。一番うまみを感じられる薄さに切るんが料理人の腕前。そしてキレイに花のように盛りつける。盛りつけは肝心よ。いくら家族で食べるときであっても、キレイに盛りつけられた料理は有り難く食べるやろ。料理をしてくれた人に対してだけじゃないよ。魚に対しても有り難い気持ちを持てる。
 
ふぐ刺しを食べるときはまずは一枚ずつ食べて、そのときどきに食べるふぐのうまみを味わうのが通よ。今日のふぐはちょっとあっさりしとるとか、甘みが濃いとか、少し水っぽいかな、とかな。はじめっから三枚も四枚もごそっととるのはみっともないぜ。人間の舌は同じものを食べていくうちに慣れてくるけん、そうしたら数枚を楽しむのでもええんやない?
 
やけどもし万が一、桜の花びらのような色をしたふぐ刺しにでおうたときは最後まで一枚ずつ大事に味わったほうがええぜ。一生に一回の幸運かもしれんけんな。この桜色したふぐというのは百本さばいて一本あたるかどうかぐらいに貴重なもんなんよ。いやもっとかな。この四十年の間で数えきれんほどふぐをさばいてきたけどわしがおうたのは三本ぜ。
 
このふぐは文句なしに最高よ。たった三本でもその味はようわすれん。まず身の感触が違う。切るときぴたっと包丁にくっついてくる感じなんよ。余分な水気は一切ないけん皿が濡れることはないのに身はつやっぽい。
 
だいたい、ふぐの魅力というのは他のものに負けんその味の強さよ。あっさり淡泊やのに「わしがふぐや」という主張がある。もし最高級の鯛と一緒に食べることがあったとしたら、そんなことはなかなかないやろうけど、鯛の味がわからんようになるぐらいにかすんでしまうはずよ。そういうふぐの中で桜色のふぐはいちばん強い。口に入れるとその薄い刺身一枚にふくよかな甘みがあって、飲み込んだ後でも甘さが残る。強烈な味なんやけど、けっしてむつこい(脂っぽい)とか、のどが渇くような濃さがあるわけじゃない。調味料の味じゃないけんな。
 
自然のなかにおるやつはほんと、すごいもんよ。
 
やけん、もしもよ、桜色のふぐにおうたら最後の一枚まで一枚ずつしっかり味わってみて欲しいんよ。一枚食べるごとに口の中での味も変わってくるけん。満開の桜が皿にのっとるようにそれは華やかな色をしとるけん、はじめて見る人でもわかると思うぜ。
 

写真は残念ながら、「幻のふぐ刺し」ではありません。でもアメ色のいいふぐでした♪
 


2014年1月17日