伊予灘のギャング!? 

 
わしが住んどる町は下灘と呼ぶんやけど、下灘はわしが生まれるずっと前からの漁師町。「魚見」という姓はよその土地じゃあ珍しいようやけど、下灘にはようけこと「魚見」がおって、たいがいが漁師よ。姓がつけられた由来はどうかわからんけど、農家の人にはおらん姓やけん、なんかしら漁師をやりよるのと関連があったんやなかろか。
 
下灘の漁師は昔から腕がようてな、「天然の魚を捕る」ことにかけては四国一、いや日本一かもしれん。わしが食べるにも、店でお客さんに食べてもらうにも「天然もん」にこだわっとるんは、ここ下灘の漁師として誇りがあるけんよ。漁師というても、ほかでは養殖をやりよるところが多いし、集団で組んで漁をしよるんやけど、ここは養殖はやらんし、集団にもならん。個人で競い合うけん、腕も伸びるんよ。今でも船数が多くて、後継者問題にも苦労しとらん。
 
この下灘の漁師が五十年ほど前は新聞をにぎわすぐらい有名やったんよ。
 
なんもせんで新聞をにぎわすのは珍しい動物ぐらいのもんでな。それこそ、ええことをして載るのはスポーツ選手か文化人ぐらいよ。
 
その五十年前ころの下灘の漁師はものすごい稼いどった。漁師のバブルとでもいうかな。いわゆる八十年代のバブルよりずっと前の話。
 
魚を捕るときに底引き網を使う漁があるんやけど、下灘の漁師は底引き網に板をつけて漕ぎよったんよ。そうすると板が海中で扇状に広がってな、大量に魚が入る仕掛けよ。網だけでやるより倍以上は入る。一回の網で倍以上入るんやけん、儲けも倍以上。たいがいの船がいつも満船(もうこれ以上は船に載せられないというぐらいの大漁)にしとった。商売をするからにはようけ儲けたいんやけん、そりゃみんな板漕ぎをやる。少なくても一日六,七万円。満船にしたら十五,六万くらいにはなるけん。今の価値でいうたら五,六十万という大金よ。ほんと、華々しい時代やったわい。
 
ただこのバブルにはひとつだけ問題があった。実はこの漁法、違反なんよ。海の場合は、いっぺんに捕れすぎる漁法はダメという考え方でな。農家の人やったら表彰もんぜ、ようけ収穫できる方法をあみだしとるんやけん。
 
違反やのに、なんで板漕ぎ漁ができたか、というか、やりよったかというとな、広い広い海の上、どういう漁法をしよるかは近くまで寄って漁しよるんを見んとわからんのよ。板を船に積んどるだけじゃあ、違反にはならんけん。漁師を取り仕切っとるのは県の海上保安庁。保安庁が違反の船をつかまえるには現行犯を見つけるしかない。
 
海の上は見晴らしがええけんな。万が一、保安庁の船が「あの船は怪しい」と思って近寄ってきても、板を捨ててしまえばええんよ。もしそれも間に合わんと思うたら網ごと捨てればいい。板とか網はあとから探して拾えばええんやけん。
 
もういたちごっこよな。ある意味、無法地帯を地でいっとった。
 
わしが漁師になったのもそのころ。
 
ただ「悪銭身に付かず」とはよう言うたもんでな。ようけ稼げば稼ぐほど漁師の遊びは派手になる。酒、女、ギャンブル・・。わしなんかほかにやりたいことがあったのに仕方なしに漁師になったけん、稼いだもんは全部つこうちゃると意気込んで遊びよったけん。
 
そんなんが十年ぐらいは続いた。 
 
ええ時期がそんなに長く続いたのも愛媛県の保安庁がけっこう融通が利くというか、大目にみてくれとったというのもあるんよ。それが、人間、欲なもんでなあ。自分らの領域だけで済ましとたらよかったもんを、山口や大分にまで手をつけ始めてな。山口や大分の漁師らは違反漁なんかせんと真面目に捕りよったんやけん、まだまだようけ魚がおったんよ。そこへ下灘の漁師が板漕ぎでごそっと捕っていってしまう。そりゃあ、地元のもんは怒るわいな。山口や大分の保安庁もどういうことだというてきた。
 
そしてついに、地元の新聞にたたかれた。
 
「伊予灘のギャング・クロの船団が瀬戸内海を荒らす!」という見出しで、新聞の一面にデデーン!と大きく載せられてしもうた。
 
そのころの下灘の船は船が海で目立たんように灰色に塗っとったんよ。夜にこっそり漁をやったりするけん。軍艦といっしょ。それで「クロの船団」とか「ギャンク」とか言われたんよ。
 
これでは愛媛の保安庁も面子が立たん。
 
下灘の港の前に保安庁の船が毎日駐留するようになった。船が港から出れんように見張るために。つまり、完全封鎖。当時子どもの作文に「港に保安庁の船がおるけん、うちのお父さんが仕事に出れません」とあったというんやけん、子供心にもちょっと異様な風景やったんよ。なんと封鎖は一年間も続いた。漁に出れなんだら当然漁師は食べていけん。下灘の漁師はみんな出稼ぎにいった。大阪に行く者もあれば、広島に行く者もおった。
 
わしはというと、知人の紹介で近くの町の農機具をつくる会社に就職。生涯、会社勤めをしたんは後にも先にもこのとき限りよ。一ヶ月ともたんかったけど。工場長とケンカしてしもたんよ。
 
年の頃はちょうど二十歳。十六歳から漁師になって、それまでずっと自由気ままにやりよったんよ。それが、急に朝から「はい、みなさん! 体操しましょう」とか、「はい、みなさんで社歌を歌いましょう」とか。なんぼにもやれない。
 
それに一日働いてもらう金は二千円からせいぜい三千円。漁師で派手に稼いどったけん、コツコツした仕事に耐えれんかったのもあったんよな。もうそのときは結婚しとったけん、石割をしよる嫁さんところの実家を手伝いながら食べつないだ。
 
下灘の漁師が復活でけたんは、他でもない、魚と漁の腕前のおかげ。封鎖されたときは板漕ぎしか頭にないけん、保安庁がついてくると思うてよう沖に出んかったんやけど、ある漁師が正真正銘、違反なしの許可をもらっとる道具で漁に出たんよ。そのとき、剣崎イカに当たった。これがまた、大当たりでなあ。剣崎イカはまた、下灘に活気を呼び戻した。
 
出稼ぎにいっとった人らもみんな噂を聞きつけて次々と戻ってきて剣崎イカを捕り始めた。板漕ぎ漁のときよりも景気がよくなったぐらいよ。
 
このとき下灘の漁師が変わったことがひとつある。保安庁の指示で、船を灰色から黄色に塗り替えたんよ。目立つようにな。ほんでも「魚を捕ってやる」という漁師魂は一寸も変わりはせんぜ。
 
実のところ新聞でたたかれるような違反をしよったとき、下灘の漁師は「悪いことをしよる」という気持ちはなかったんよ。魚を捕るのが漁師の仕事。大漁を揚げて何が悪い、たいした漁もできん奴のほうがしょうもない、みたいな感じでな。
 
剣崎イカにしても、下灘の漁師が魚を捕ることにかけては優秀やったけん復活できたんよ。大漁を揚げるのはわしら漁師の誇りやけん。
 
捕りすぎると魚がおらんなるとか、すぐに環境問題とか言うけどな、下灘の漁師はたかが小さな町の漁師がちょっとようけ捕ったぐらいで生態系が崩れるとは思うてないんよ。もともとの海は人間が考える以上に豊かで、ものすごい数の卵が生まれては育っていきよんよ。やけん、違反といわれても「それがどうした」という風よ。
 
ここ数年は温暖化の影響で海水がたこうなって、大量にウニが死んでしもうたり、捕れんようになった魚もいっぱいおる。それに、山の木が伐採されて川の水が汚れたり、家庭排水で毒の混ざった水を海に垂れ流しにすることのほうが、よっぽどものすごい力。海がおかしくなるんは、そういうことやと思うぜ。
 

黄色一色の下灘の漁船
 


2014年10月25日