網代は漁師の財宝

 
わしが日本がええと思うのは、四季があることよ。季節によって山の食べもんも変わるし、海の食べもんも変わる。つまりは、山のもんを食べたり、海のもんを食べたりしてわしらは季節を楽しめるやろ。時期がくるとちゃんとたけのこがでたり、まったけが出る場所があるように、漁師がちゃんとその時候に合った魚を捕れるのは、毎年同じ時候に同じ魚が必ずやってくる網代(漁場)があるけんなんよ。
 
自分が見つけたいい網代というのは漁師にとっては財宝みたいなもんでな。そこで漁をするときには、他の漁師にはバレんように朝早く出かけたり、他の船が見えたらわざと別の場所に移って漁をしたりするぐらい。企業の人でも、独自で開発したすごい研究を同業他社に教えるようなバカなことはせんやろ。網代も特許みたいなのがとれたらええんやけどな。
 
いい網代をどうやったら見つけられるか、というのは、もう、ただただ、勘よ。潮の流れや底のつくりなんかを頭には入れておくけど、データだけではやっぱり発見できん。ノーベル賞をとる人でも失敗からたまたまひらめいた、とかいいよるやない。でもひらめく人と、そうでない人がおるように、漁師でも、勘が働く人と、そうでない人がおる。ノーベル賞の人といっしょにするような大層なことではないけどな。当然、いい網代をようけ持っとる人ほどえらい稼ぎがあるし、持ってない人は人工の網代しか知らんわけやけん、それなりの稼ぎしかない。
 
人工の網代というのは、漁師が県に陳情して許可が下りたところに、古船を沈めたり、穴の開いたブロックを入れたりして、魚の住みかをつくっとるところのこと。そこはみんなに公表されとるけん、みんながそこで漁をするんよ。人工の網代は漁師にとって最低の補償にはなるけど、面白みはないぜ。それに魚は時候によって変わっていくけん、年中そこで魚が捕れるわけじゃない。自分の網代を見つけられる人は、ちゃんと時候ごとの網代を持っとるんよ。
 
さてその大事な網代、何の目印もない海の上で、どうやってその位置を覚えるかが問題。浮きで印をつけたらそれこそバレバレやろ。
 
そのとき、山を見るんよ。網代のある自分の場所を起点にして、正三角形になるように山のほうにあとふたつの点を探すんよ。そしてそのふたつの点のある風景を覚えておく。ひとつの点をつくるときには必ずふたつ以上の形を覚えておかんといけんよ。
 
例えば、右手の山に一本突き出た木があるとする。さらに木の近くの山小屋の形を覚えて、木と山小屋が同じように見える点をひとつとする。左手も同じようにしてな。そうしてつくった三角形の場所というのは、海の上に一点しかないんよ。言葉で説明するとわかりにくいかもしれんけん、一回、屋上にでも上がって、自分の位置と左右に見える二点で三角形をつくってみたらすぐわからい。ちょっとでも立っとる位置が変わると、つくった点の風景が変わってしまうはずよ。
 
こうして目で記憶して、頭で記憶する。木や小屋とか、目立つもんがありゃわかりやすいけど、場所によってはただ山が見えるだけ、島が見えるだけのところもある。そういうときは山のでこぼこした形や島の形を利用するんよ。わしは五十から六十ぐらいの網代を持っとるけど、全部頭に入っとる。兄貴は恐らく百ぐらいは持っとるんやないかな。前にも言うたけど、兄貴はこの町いちばんに稼ぐ漁師やけんな。そりゃ、漁師は記憶力がよからんとできんかったんぜ。
 
中には帳面を持っていって、山の交じり具合とか、島と島のくいあい(見え具合)とかを一生懸命つけとる人もおったけど、そういう覚えの悪い人はだいたいが人工の網代専門。自分の網代をよう見つけん人よ。
 
最近はちょっと事情が変わってきとって、記憶力のないアホでも漁師をやれるみたい。いまごろの船はほとんどがロランシーという機械を積んどるんよ。ロランシーというのはカーナビみたいなもん。衛星で海の上でも、自分の船がどの辺りにおるかがわかるようになっとる。やけん、網代を見つけたらロランシーに印をつけておけば機械が覚えてくれるんよ。
 
わしは持ってないよ。別に機械が嫌いというわけではないぜ。魚群探知機は積んどるんやけん。どうもロランシーはある程度の場所はわかっても、五十から六十メートルほどはズレてしまうらしいんよ。山を見て覚えるのは正確やけん、そのほうがええと思とるだけよ。
 
それに大事な網代のことを機械に頼ってばっかりではいかんとも思うぜ。万が一壊れたらそれですべてパーやけんな。まだ今は山を見れる人がおるけんええけど、山の見方がわからん若いもんばっかりの世代になって、みんながみんな機械頼りじゃ勘も働かんようになる。それこそ網代そのものを見つけられんようになってしまうかもしれん。網代のない漁師なんか、ただの船持ちぜ。
 


2015年4月29日