魚の供養
夏
漁師が魚を供養する日
- お盆は漁師にとっては特別な日
- お盆は仏さんを供養するのに加えて漁師にとっては特別な意味があってな。お盆の最後の日、十六日は魚を供養する日なんよ。いつも魚を捕って売ってしめて食べよるけん、この日は船に残っとる魚がおったらカレイでもウニでもアワビでも伊勢エビでも生きとるもんは全部逃がす。なるべく十六日までに売ったり人にあげたり食べたりはするんよ。ほんで、その十六日だけは魚を食べんと、お精進料理を食べる。一年にいっぺんだけの魚を食べん日よ。
そして、浜で盆踊りを踊って、仏さんと魚を供養して送り出すんよ。盆踊りをする浜は漁師ばかりが住んどる「下浜」という部落にあるんやけど、魚を供養するためにここでずっと歌い継がれてきた唄があるんよ。「下浜」に限らん、農家の人が集まる近くの部落の盆踊りでもちゃんと作物を供養する唄があるらしいわい。たぶん、日本全国、ところところに仏さんや生き物を供養するような唄はもともとはあるんやない。ただ下浜も今は唄を歌える人がだいぶ死んでしもて、歌える人が少なくなっとる。その人らも歳やし…。
- 順々に歌い継いできとる
- 昔は録音するもんもないけん、唄がなくなってしまわんように順々に歌い継いできとるんよ。いまやって、とくにテープに録ったりするわけでも、紙とかに書いて残しとるわけでもないみたい。そういうもんじゃないんやろな。唄を知っとる人がおらんなったら、唄ものうなってしまう。いつまでも残っとって欲しいけどな、わしも物心ついたころから盆になるとずっと聴いてきた唄やけん。わしはいかんよ。歌は大の苦手やけん。
この唄で踊るときは、伴奏はなし。太鼓と唄だけよ。結構ええ歌ぜ。人から人に伝わっとるもんやけん、文句が変わっとるかもしれんけど。 - 魚を供養するためにずっと歌い継がれてきた唄
- 一にや一の谷敦盛様よ、
二には新潟の観音様よ、
三にや讃岐の金毘羅様よ、
四には信濃の善光寺様よ、
五つ出雲のお社様よ、
六つ六角堂の六地蔵様よ、
七つ奈良の大仏様よ
八つ八幡の八幡様よ、
九つ高野の弘法大師
十で処の氏神様よ。
わたしゃ今来たァ 沖なかの舟よ、
何処に取りつく、やれさ、島もない。
沖の暗のに白帆が見える、
あれは紀の国、やれさ、みかん舟。
みかん舟なら、いそいでのぼれ、
冬のやまぜがやれさ、西となる。
わしの音頭は、うさぎの手足、
おびにみじかし、たすきにゃながい。
今度大阪、浪花の町にゃ
おらはしらねど、酒屋が出来た。
酒屋内には、おとどい子供、
兄は二十三、その名がもんぺ。
やあれ兄さん、ご病気じゃそのが、
医者をむかようか、薬をよもろか。
おらが思ても、あの娘がきらや、
いそのあわびの、やれさ片思い。
おまえ百まで、わたしゃ九十九まで、
共に白髪のやれさ、はえるまで。 - 「仏さんへの供養」の気持ち
- だんだん、時代が変わってきとるけん、最近は「お盆」というても仏さんを家で迎えるなんてことはせんかもしれん。大事な「休み」やけんな。ほんでも、どっかに遊びに行くとしても「仏さんへの供養」の気持ちを持っておったら、守ってくれるんじゃない。